スタッフ紹介院長

こんにちは、ゆたにです。

血液型はO型。好きなものは・・・焼き鳥です!

歯医者は怖いところ、痛いところではありません。歯医者を”わくわく楽しい”場所にするのが僕の使命です。

ゆたに歯科を単に治療をするための場所ではなく、すべての人々が自分の健康をより良くするための場所にしたいと思っています。
そして、ゆたに歯科に訪れる人々の人生がより良くなるために、微力ながらサポートさせていただきたいと思っています。

スタッフから見た院長のいいところ

まず本当に患者様にも、スタッフにも他の医院の院長先生からも信頼が厚く優しいということです!
優しい笑顔と、気軽に何でも相談が出来る温かい雰囲気をもった先生です。
診療については熱い想いがあり『ゆたに歯科と出会う全ての方がずっと健康で美味しいご飯が食べられるように』という信念は昔から変わらず診療が休みの日は、ほぼ勉強会やセミナーへ出かけいつも勉強熱心に最新の治療を学んでおられます。スタッフの私から見ると『先生いつ休んでいるんだろう。体大丈夫かな?』なんて少し心配になるほどです。でもいつも活き活き誰よりも元気です!!
受付の立ち振る舞いにも細かく指導して下さり、それは医院の顔である受付という場所は1番患者様にとって大事であると考えているからとのことでした。確かに最初の電話、予約やお会計など受付がぶっきらぼうだと患者様に心地よい接遇を提供出来ないからです。
私が1番凄いなと思っているところは、とても慎重なところです。
治療をする1つ1つが優しい、絶対に自分が良いと思わないと患者様にはすすめたりしない!だからこそ安心して私達スタッフも仕事が出来ますし『院長がおすすめする事は良い物なんだ』と自信をもってお答えすることが出来る。患者様にもスタッフにも愛されて『ゆたに歯科しか歯医者いけないわ』『院長先生ほんと出会ってよかった』『院長先生大好きです!尊敬してます』そんな院長先生のモトで働ける私達は幸せ者だと思っています!!

院長信念

略歴

2001年大阪歯科大学卒業
同年大阪歯科大学総合診療第一科入局
2002年大阪歯科大学第一補綴科(総入れ歯)入局
2003年油谷歯科医院継承
2004年ゆたに歯科クリニックに改名
2011年現在の場所(明石市西明石町→明石市松の内)に移転

『日本補綴歯科学会会員』
『日本口腔インプラント学会会員』
『【IDIA】国際インプラント学会認定医』
『Caribbean Dental University客員研究医』

研修実績

アストラテックインプラントシステムセミナー臨床実践外科コース
アストラテックインプラントシステムセミナー臨床実践補綴コース
SJCD大阪ベーシックコース/SJCD大阪レギュラーコース
筒井塾咬合療法コース
JIAS再生療法コース
CHP(ベーシック、アドバンスコース)
OSIインプラントコース/サイナスリフト実践的セミナー
IHS臨床基本ゼミ(火曜会)
よしかわ矯正臨床研究会/床矯正研究会コース
補綴step up講座Cr-Brコース
補綴step up講座 PD・FDコース

 

成功開業医への道

当院は祖父の代から開院60年を超えます。3代に渡り大きな事故もなく歯科医療を行うことができたのも、ひとえに皆様のご支持とご支援の賜物と、心から感謝いたしております。

そして2011年10月、西明石町から松の内にリニューアル移転し、新たなスタートを切りました。
今回の移転には、私の沢山の想いが込められています。

当院の使命は、「私たちおよび地域の人々のQOLを世界一にすること」です。
つまり、歯科医療を通じて地域の人々の人生を、より豊かにするためのサポートをすることだと考えています。

当院は下記の点にこだわっています。

●ワクワクする、居心地の良い歯科医院にすること

歯科医療は、今や歯が悪くならないように通うことが当たり前になってきました。
そのために私たちは「痛い」「怖い」といったイメージを払拭し、「喜んで、楽しく、行きたくなる」ような医院を目指しています。
そんな空間をつくるためには「歯科医院ではないと思える」快適な医院である必要性があると考えました。

●医院内の設備は最良のものを取り入れ、病院として徹底的に機能的にすること

医療施設として最良の医療が提供出来るように徹底的に設備にこだわりました。確かに予防がまず大切ですが、歯科治療も絶対的に必要です。そして治療の目的は、まずは食べられるように直し、その後も長く健康でいることです。
そのためには治療の精度が大切です。材料一つ、歯科器具一つに徹底的にこだわりました。

●体に優しく清潔で安心な医療システム

これまでも世界水準の消毒・滅菌をおこなってきましたが、移転後はは、専用消毒室を拡大、さらに徹底した消毒・滅菌を可能にしました。日本の歯科医療現場では、いまだグローブの使い捨てや、治療器具の患者様ごとの滅菌が当たり前に行われていない医院がまだまだ多くあるのが現状です。
世界水準レベルを目指しています。

 

油谷征彦の過去から現在まで

自分の生い立ちについてさかのぼってみようと思います。

幼少期

院長幼少期

とにかくよくしゃべる子供でした。人と話すのが好きで、近所の話好きの
おばちゃんにも負けなかったと思います。しゃべり相手がトイレにはいっても、
トイレも前でしゃべり倒すような子供でした。

小さい頃は、工作が好きで、いつも粘土でウルトラマンにでてくる怪獣を作っていたことを覚えています。一方で外で遊ぶのも好きでした、そのころの特技は木登りだったと思います。今では高所恐怖症とメタボリックで、とても木になんて登れませんが、、、。

私の父は、歯科医師でした。祖父も歯科医師です。つまり、私は3代目。もの心のついた頃から、キュイ―ンという、あの嫌な歯を削る音と共に育ちました。ですから、なんとなく自分は将来、歯医者になるんだろーなーと、漠然と思っていたことを、おぼろげながらに覚えています。正直に言いますと、子供の頃からすっごい歯医者にあこがれて、歯医者になったわけではありませんでした。

ただ、父は常に「ありがとうございますと感謝されて、こんな良い仕事は他に無いぞ」と言っていました。当時の私には、その意味はわからず。「ふーんそうなんやー、でも歯医者さんってたいへんそうやなー」ぐらいにしか思ってませんでした。

でも、今から考えるとなって良かったと思います。
なにより私はこの仕事が好きなようです。

思春期のころ

院長思春期

高校生のころ、たいして勉強もせずに3年間が経ってしまい、当たり前ですが、奇跡は起こらず浪人生活をおくりました。しかし、そこから猛勉強がはじまりました。
じぶんでは、「おれは、やったら出来る子や。」と根拠のない自信がありましたが。

その自信は脆くもくずれ。
「やらないと出来ない子」という謙虚な気持ちを、はじめて学びました。
ただ、このときの挫折で「努力と継続の大切さ」を学べたことは、
私にとって今の自分があるために必要不可欠なことでした。

大学生のころ(恋愛編)

院長大学生

大学2年生の時に好きな人ができたのです。今までも好きなひとはできましたが、目標に向かって頑張っている彼女はキラキラ輝いていました。キラキラしていて、自分より上の尊敬する存在でした。

付き合い始めて3ヶ月後、彼女は夢を実現させるため、
アメリカに留学していきました。
そして、それを期にそのまま彼女は私の元から離れていきました。
そうです。ふられたのです。

会えない寂しさもあったでしょうが、私がふられた理由ははっきりしています。
間違いなく私に魅力がなかったからです。

大学生のころ(ハンドーボール部)

 

inchohandobo-ru

そして決意したのです。
「このままじゃ駄目だ!自分を変えたい!尊敬する彼女のように輝く自分でいたい。おれは幸せになるんだ」
そして私は、友人のすすめのもと、ハンドボール部に入部しました。
しかし、ハンドボールというスポーツは、かなりハードでした。
入部したての頃は、恥ずかしい話ですが、バテてしまって5分しかコートに立てませんでした。ハンドボールというスポーツは、常にトップスピードで動き続けなければ、活躍できません。馬車馬のように走りこみました。部活のない日は1人で壁に向かって、シュートの練習をしました。

“キラキラ輝く自分になるために、、、、。”
そして、クラブ活動から、多くのものを学びました。
「最後まであきらめない気持ち」「チームワーク」「努力することの楽しさ」また、「目標に向かって頑張っているときの、輝いている自分」に気づくことが出来ました。

大学生のころ(続き)

 

また、大学ではいろんな事を学びました。歯科について、何の予備知識もない専門科目でしたので、何の疑問ももたず、教えられたことを、「ああそうか」と学んでいました。
しかし、大学6年生になったころ、歯科の治療に対して疑問をもつようになりました。
その頃わたしは、国家試験の勉強のため、大学の図書館にいたのですが、勉強に疲れたわたしは、休憩をかねてある一冊の本を手にしました。
なんという題の本か忘れましたが、そこに書かれていた内容に大きな衝撃をうけました。
その本には「医者は病気を治すが、歯医者は治さない。歯医者は病気を治したり、病気になり難くすることを予防と呼び、悪くなった後始末のことを治療と呼ぶ。」という様な事が書いてありました。

「え!!どういうことやねん。なんでやねん。」
「確かに、歯の治療って噛めるようにはなるけど、治してないやん」
「ムシバの治療って、削ってつめるけど、詰め物は材料だから、二度と自分の歯には戻らない。それを繰り返していくと、当然口の中が詰め物だらけになって、歯の部分はどんどん減ってしまう。
だから日本は、他の先進国とくらべて、圧倒的に入れ歯の人が多いのか!!!

研修医のころ

そして、わたしは歯医者になって現場に出て、ますます実感しました。
歯医者が手を加えれば手を加えるほど、歯が加速度的に減っていく事実を、、
そして歯医者がその事実をあまりはっきり言わない事も、、、
ムシバになった原因や、環境を変えずに穴が開いた後の後始末として、詰め物をするだけでは、またそこは、いつか必ずムシバになりますよね。だってそこは、他のところと比べてもともとムシバになりやすかったわけです。その環境は変わってないわけですからね。

つぎは、もっと大きな詰め物をして、次第に神経をとり、かぶせになり、そこがまたムシバになって、これはもう使えませんから抜きましょうと言う事になります。
治療をしなければ、削らない分もう少しは歯が残ったかもしれない、抜くほどではなかったかもしれないのに、、、
でも、痛かったり、噛めなければ治療をせざるを得ない。

わたしは、歯医者として出来るだけ多くの人に、できるだけ長く自分の歯でおいしく食事をしてもらうには、どうすればいいかを四六時中考えています。
じゃあ1番良い方法は、と考えたら答えは1つ。
悪くさせないこと。つまり予防をすることなのです。

開業

私には夢があります。
それは、日本中の歯医者嫌いの人を、歯医者好きにすることです。
私が歯医者になりたてのころ、よくこんなことを言われました。
「私、歯医者が嫌いなんです」
これから自分が一生をかけてやっていく仕事が、大嫌いといわれるのです。
実は、結構ショックでした。

でもね、その気持もわかります。
だって、そりゃ嫌ですよ。痛いし、怖いし、時間かかるし、、、
何を隠そうわたしだって、もし自分が歯を治療しないといけないとなると、どこの歯医者に行ったらよいのか悩んで夜も眠れません。

しかし、患者様の話に耳を傾けて行くうちに知りました。
「歯医者が怖くて通えない、、、だから、歯がボロボロになってしまった。」といわれる方のなんと多いことか!
世の中にある歯医者が、どれもこれも怖い歯医者であったばっかりに、、、

予防を成功させるためには、歯医者が怖い場所であってはいけない。
行くのが、楽しみになる場所でなければならない。
歯医者がワクワク楽しい場所であれば、予防は成功しやすくなるはずだと思います。
わたしの夢は、日本中にいらっしゃる、歯医者が怖くて、嫌いで嫌いでたまらない方に、またそのためにどんどん歯が悪くなって困っている方に、歯医者を好きになってもらって、ずっと健康な歯で、家族とおいしく食事をしたり、楽しく幸せにくらしてもらうことです。

そのために私たちは、まず地域で1番ワクワク楽しい歯科医院を目指します。

ここまで読んでいただいてありがとうございます。引き続き、是非「親父への手紙」もお読みください

私の「生い立ちの記」どうでしたか?
ちなみに、大学生の時にふられた彼女は、今の嫁さんです。
後に再会し紆余曲折がありながら、最高のパートナーとして現在も共に歩んでいます。

 

いつもゆたに歯科クリニックにお越しいただいている皆様へ

たくさんの歯科医院がある中、ゆたに歯科クリニックを選んで来院してくださっている事に心から感謝しております。
そんな皆様に知っていただきたいことがあります。
私はスタッフと共に「ありがとう」の感謝の声があふれる診療所をつくりたいと考えています。
そしてこれからお話させていただく父親への手紙は、私事ですので「興味ないわ」と思われるかもしれませんが、少しお付き合いいただければ大変嬉しく思います。

私はある尊敬する歯科医師の先生に出会って”聴く”ことの大切さを学びました。
そして、今は”伝える”ことの大切さを学んでいます。

予防とヘルスプロモーションを明石市の人々に伝えるため
健康について、来院者さんに伝えるため
自分の思いをスタッフに伝えるため
私は今”伝える”ことの大切さについて学んでいます。

そこでこの機会に、父親に「自分の気持ち」を伝えたいと思い手紙を書きました。

 

拝啓親父殿

(2008年に執筆した手紙です)

私があなたのゆたに歯科を継いで6年がたちましたね。
つまりあなたが亡くなってから6年がたちました。
あっという間の6年間でした。
あなたのいなくなった診療所で私は多くのものを学んでいます。
今でももちろんあなたの診療所で私は歯科医師をしています。
あっ、あなたの診療所ではなく、私たちの診療所ですよね。
そして予防とヘルスプロモーションに出会ってからは、この診療所が私たちだけのものではなく、ここで働くスタッフの、ここに来られる来院者さんたちみんなの診療所であることに気づきました。

ただ・・単に私が気づくのが遅かっただけで、ここは元々みんなのゆたに歯科だったのですね。

院長父

私たちの診療所も今年で築34年。
家とくっつているこの診療所は、私が生まれたのと同じ頃に誕生しましたね。
私の生活にはいつもこの診療所がありました。
幼いころよくこの診療所で遊んだりもしました。
受付のおばちゃんの足元で、牛乳パックで工作をしたり、粘土で怪獣をつくったりしていたのをよく覚えています。今では受付さんの足元で、カムカムクラブの子供たちがおもちゃで遊んだりしています。
みんなゆたに歯科に来るのを楽しみにしていますよ。

私も、この間34歳になりました。
私の愛するスタッフと愛する嫁さんに、この診療所で誕生日を祝ってもらいました。
とても幸せな気持ちでした。
このオンボロな診療所とこんな頼りないわたしを支えてくれている、スタッフや嫁さんにいつも心の底から感謝しています。感謝してもしきれないくらいです。

ただ、私は1つだけ後悔していることがあります。
それは素直になれなかったこと
反抗息子だった私は、生まれてから1度もあなたに直接「ありがとう」と伝えていません。
結局最後まで伝えられずじまいでした。
「”伝える”ことの大切さ」を学べば学ぶほど、後悔の念が大きくなっていきます。

「なんで、あの時 素直に伝えられなかったのだろう・・・」

院長父と海

あれは、ちょうど6年前の2月の今頃でした。
あなたの容態がよくないと母親から電話がありました。

母:「あ、マサヒコ!明日の昼前に病院に連れて行きたいけど、患者さんの予約があるからあんたかわりに診療してほしいねんけど。」

私:「オカン、代診ってそんなん無理に決まってるやろ、あしたもこっち(勤務先)で仕事やで、それに俺大学卒業したばっかりで、まだ親父の代診なんて自信ないわ・・・」

母:「なに言うんの、ええかげんにしなさいよ。お父さんピンチやねんで」

勤務先の院長に事情を説明し、私は実家にもどりました。

いつものように「おう、帰ったか。」と、嬉しそうな笑顔で私を迎えてくれましたね。
しかし、身長183センチの大男だったはずのあなたの体はガリガリに痩せていました。
その晩一緒に酒をのみ歯科治療について、私に講釈してくれましたね。
今でもよく覚えています。

次の日の朝、あなたはいつものように白衣を着て診療所にいました。
そしてタービンをもったその時、タービンはあなたの手からするりと床に抜け落ちました。
あなたは、愕然とした表情で自分の手を見つめていました。
全身に転移したガンは、あなたの握力をもうばってしまっていたのです。
そしてそのまま緊急入院、私はあなたの白衣を着て、あなたの代診を1日なんとかやりとげました。
夜になって病院に駆けつけたとき、「代診ご苦労!まあ、あせらんとゆっくりやれや。」と言ってくれましたね。

これがあなたの最後の言葉だとわかっていたら・・・。あなたにしてもらったことの全てに感謝の気持ちを伝えられていたはずなのに・・・。

もしも、もう1度あなたに会えるなら「今まで俺を育ててくれてありがとう」と伝えたい。
「オンボロの診療所だけど残してくれてありがとう」と伝えたい。

院長父と家

情けないことに、死んでしまってから親の愛情に気づきました。
あなたが家族の盾となり守っていてくれたから、私が”バカ息子”でいられたことにも気づきました。
いなくなってから、あなたの偉大さに改めてきづきました。
そしてあなたがいなくなってしまってはじめて、1度も「ありがとう」と伝えてなかったことに気づきました。
私はいつも気づきが遅いのです。

たしかにいつも明日はやってきます。見過ごしたことも取り返せます。
やり間違えたことも、やり直す機会がいつもあたえられています。
でも、自分の思いを素直に伝えることに明日はありません。
今日伝えなければなりません。
なぜなら私は今、”伝える”ことの大切さについて学んでいるはずなのですから。

だからこそ私は、ゆたに歯科クリニックを
「ありがとう」の感謝の声があふれる診療所にしたいと考えています。
来院者のみなさんからの「ありがとう」
スタッフ同士の「ありがとう」
私からの「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」

それは、私があなたに伝えそびれた一言です。
もう後悔はしたくありません。

私はこれから毎日、全ての人々に素直に伝えていきたいと思います。

「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」

敬具
平成20年2月11日
征彦より